トピック多き素晴らしいメモリアル

さまざまなトピックが詰め込まれたボートレースメモリアル、であった。
まずは何といっても、馬場貴也のメモリアル3連覇であろう。本誌9月号の展望記事にもあったように、これまで同一SG2連覇を達成した選手は16人にのぼる。しかし、同一SG3連覇を達成した選手は誰もあらわれていなかった。馬場がもしこのメモリアルを優勝すれば、史上初の大快挙だったのだ。しかも馬場は初日ドリーム戦に1号艇で選出されていた。ドリーム戦1号艇が優勝争いにおいて有利かといえば必ずしもそうは言えないわけだが、主役として参戦していたのは明らかで、おおいに期待が高まっていたのは間違いない。
メモリアル関連でいえば、今垣光太郎が優勝していれば、同大会歴代最多の4度目の優勝であった。過去70回のメモリアルの歴史において、最多優勝は今垣、野中和夫、毒島誠の3V。野中はすでに引退し、毒島は今大会不出場。今垣のみに、単独トップに立つチャンスがあった今回であったのだ。この偉業は果たされなかったが、来年以降も今垣と毒島がこの記録に挑んでいくことになろう。

西山貴浩のSG2連続優勝にも期待はかけられた。地元若松開催ということも大きな注目点ではあったが、今年クラシック→オールスターと連続優勝した佐藤隆太郎につづく壮挙も懸かっていたのだ。達成すれば、次のダービーで歴代最多タイの3連続優勝にチャレンジすることになるだけに、悲願の若松SG制覇とともにファンは熱視線を送ったというわけだ。
佐藤隆太郎には、若松SG連続優勝が懸かっていた。いまも記憶に鮮明な、3月クラシックのSG初優勝。あれは若松でのシンデレラストーリーだった。さらに、メモリアルVならSG年間3優勝目となり、これは歴代最多タイ。もはやグランプリもチャレンジカップも出場当確だから、年間4Vの快挙にチャレンジする今年終盤となる可能性があったわけだ。

その佐藤がクラシック制覇を果たした際の相棒は30号機だった。このメモリアルも当時と同じモーターが使用されており、クラシック当時は20%台だった30号機の2連対率は50%にも迫る勢いとなり、若松のエース機へと成長していた。もし30号機を引いた選手が優勝していれば、同一モーターによるSG連続優勝というかなりレアな快挙ともなっていたわけだ。そして、その30号機を引いたのは深谷知博。深谷の妻はほんの2週間ほど前にレディースチャンピオンを制していた鎌倉涼で、もし深谷が優勝していたら8月のビッグレースを深谷&鎌倉夫妻で独占ということになっていたわけだ。これもかなりレアな記録と言っていいだろう。
池田浩二には、全24レース場制覇がかかっていたのも注目された。池田は6月のグラチャンで戸田初優勝を飾り、これが23場目の優勝だった。残されたのは、メモリアルの舞台である若松。SGで24場制覇達成となれば、これは一昨年ダービー(蒲郡)で達成した峰竜太以来の記録となる。ちなみに、グラチャンは通算99回目の優勝であり、メモリアルでの通算100V&24場コンプリートのW達成も期待されたが、100Vは前節の蒲郡お盆開催で達成された。
残念ながら、それらは達成されることはなかったが、これだけ多くのトピックを見出せるSGもそう多くはない。ほかにも、平本真之は昨年のメモリアルでは優勝戦1号艇で敗れており、そのリベンジのチャンスであったり、新田雄史は3月クラシックで準優1着ながら不良航法で優出を逃しており、若松SGでのリベンジのチャンスであったり、と「雪辱系」とトピックもいくつか見つかった。新田は見事に優出を果たしたので、そのリベンジには成功したわけだ。まあ、優出まででは新田自身も雪辱を果たしたとは思っていないだろうが。(つづく)
BOATBoy最新号
boatboy newest release
