
丸野一樹インタビュー(2026年8月号)
こんなはずじゃなかったのに

――丸野選手とはもう10年くらい、ピットで会うといろいろお話させてもらって、だからSG制覇は個人的にも嬉しいんですが、その10年の丸野一樹を見てきたなかで、やはり思ってしまうのは「なぜSGで結果が出なかったんだろう」ということです。
丸野 はい。
――GⅠは9回も優勝してるわけですよ。調べてみると、身近な先輩の馬場貴也さんはGⅠ優勝8回。丸野さんのほうが多いわけですよ。同世代のなかでもGⅠ優勝回数は多いほうです。なのになぜかSGのほうはなかなか辿り着けなかった。
丸野 そこは僕もずーっと考えていたところですね。SGもGⅠもメンバーはそこまで変わらないなかで、SGは結果が出なかった。それはシンプルにモーターとの巡り合わせもあったかと思います。あまりSGでいいモーターを引いたイメージがないですもんね。
――僕も記憶がない。
丸野 今回も正直、引いたときには「また今回もか」という感じでした(笑)。
――引いた23号機は2連対率26・9%。
丸野 ただ、GⅠとメンバーがそう変わらないなかで、みんなの気合の入り方だったり、みんなの空気感だったりのなかで、「SGは別物」というふうに捉えていた部分が自分にあったと思います。
――SGに行くときとGⅠに行くときでは気持ちが違ってた?
丸野 そういう部分はとても大きかったですね。この1年くらいですかね、SGだからといって意気込んだり、特別なことをやって行こうというようなことがなくなったんです。やっとそうなってきたのかな。
――SG初出場は19年チャレンジカップでしたが、その近辺というのはチャレンジャー意識が強かった?
丸野 それはあったと思います。グランプリに行ったのは翌々年ですか、その年はGⅠ2つ3つ獲って、グランプリの前にBBCトーナメントも勝って、大怪我も乗り越えて(オーシャンカップのスタート練習中に突風にあおられ転覆、左手を骨折)、自分のなかでも勢いがあったと思うんですよね。その勢いのままグランプリのファイナルまで行けた感覚でした。それで次の年の大村グランプリ、1stはトップ通過してるんですけど、2ndの初っ端でフライングしてしまって、そこで完全に流れが変わってしまったような気がします。
――そのグランプリのあたりでチャレンジャー的な感覚が消えて、SGを獲るべき一人だと考えるようになった?
丸野 そうですね。周りのメディアでも「次にSGを獲るのは誰だ」的な企画では必ず名前があがっているような感じだったので、早く自分も獲りたいというのもあったし、もうすぐ手が届くんだろうというところはありました。それがなかなか獲れず、予選突破もなかなかできなかった。「おかしい、おかしい、なんでSGで結果が出ないんだろう……」ってなったような気がしますね。
――21年グランプリ優出までにSG13節走ってます。そしてこの間のオールスターが40節目だったんです。次のSG優出まですごい時間がかかった。苦しかったのでは?
丸野 やっぱりしんどかったです。その間に僕より下の若い子が、SGを獲りましたよね。同世代でも、関(浩哉)ちゃんとか上條暢嵩とかと評価は逆転してしまってるような状況になった。そういうなかで、自分の名前すらもあまり取り上げられなくなったことを最初は受け入れられないところはありました。
――受け入れられなかった……。
丸野 こんなはずじゃなかったのに、とかね。実績だけで言ったら自分のほうがあるわけです。上條はGⅠ5個くらい、関ちゃんも4つくらいで、まだSGは獲ってないわけですからね。でも、記者さんの目、ファンの目は「彼らのほうが格上」というのがあったと思うんです。
――つらい状況ですよね。悔しさはずっとあった。
丸野 そうですね。情けなさというか。でも、そこを最近になって「そうよなあ」って受け入れられるようになったんですよ。それが大きかったのかなと思います。どちらかというと、もしかしたらもう獲れないのかな、欲しかったものに対して諦める準備もしなきゃいけないのかな、って部分もありました。
――大村グランプリの話に戻りますが、あのFでSGから遠ざかることになりました。23年のことです。その年はどんな思いで走ってましたか。
丸野 正直、あまり記憶にないんですよねえ。たとえば今年のSGだったら、オールスターは浜名湖、オーシャンはびわこ、ってなるじゃないですか。でもあの年は、どこで何をやってるのかも知らないような、「オーシャンどこでやるんやろ? ああ、そこなんや」って他人事のような感じになってましたね。レース場でたまたまテレビをつけたらSGやってて、ここでやってたのか、って。
――腐ってた?
丸野 若干あったと思います、自分のなかでなかったことにしたかった1年だったんだと思います。
――24年に本格的にSGに帰ってきました。
丸野 予選突破自体がなかなかできなかったので、苦しかったですね。
――ただし、GⅠは優勝していたし、チャレンジカップの時点で24年、25年と連続で18位だった。24年のチャレンジカップはF休みで出られなかったんですけどね。つまり、SG戦線復帰と同時にグランプリ争いには加わってはいたんです。
丸野 ギリギリにはいたけど、グランプリに行けてないんで、もうひとつ殻を破っていかないといけないと思ってましたね。去年のチャレンジカップというのは自分のなかでめちゃくちゃ悔しかった節だった。結局は、「この場所にこの順位でいる時点でダメなんだな」と自分のなかでは解釈しました。チャレンジカップの前に当確させておかないとダメ。チャレンジカップでチャレンジしているようではダメなんだなと考えましたね。
――その両年とも、SGでもう少しいい成績を獲っておけばもっと上の順位にいられたわけですよ。そう考えてSGに対する思いは強くなりませんでしたか?
黒須田 逆に強く持ちすぎて空回りしたりしたので、SGを特別視するのをやめようというマインドになってましたね。モーターの下調べをSGのときだけやるとか、抽選の時にSGのときだけドキドキするとか、そんなんがSGを特別なものにしてるんだろうなと思ったんですよね。最近は「SGは次に来る一節のうちのひとつ」、そういう感覚になってました。
――以前はSGを大きく捉えすぎていわたけですね。
丸野 以前はSGだからといってペラ調整を大事に大事にやってたりとかね。足を求めて今の足をいなしちゃったら嫌だから、腫れ物に触るような……、そういうのは最近はなくなってました。大きな調整が必要ならやろう。この間の浜名湖もできましたね。3日目の後半くらいまで毎走、プロペラはぜんぜん違う形でいったんですよ。
――紆余曲折あって苦しいこともありながら、ここのところは淡々とやってこれていたわけですね。
丸野 それが大きかったんだと思いますね。
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